2012年4月26日木曜日

いろいろな〝記憶〟

長年の闘病生活の末、一昨年の夏にこの世を去った母の誕生日は3月22日だった。今からちょうど2年前、生前最後の誕生日に実家に帰ったとき、機械関係全てが苦手だった母が「パソコンを教えてほしい」と言ってきた。2日間教えて、その数週間後にまた顔を合わせると、かちゃかちゃとキーボードをいじくっていた。父に教わりながら知り合いにメールを送っていたようだ。

ニンテンドーDSという携帯ゲーム機で「脳トレ」関連ゲームに集中していた姿も思い出す。駅の売店で培った経験を生かし、釣銭をいかに早く数えるかを競うゲームで高得点をたたき出していた。わが家のDSの歴代記録トップ3をいまでも母が占めている。

孫娘の眼に目やにがたまり、まぶたがはれ、目が開かなくなった時期があった。数日して完治したとき「わたしの顔を忘れちゃうかと思った」と言っていた。

そんなときの母の気持ちは理解できる。他の誰かの記憶(あるいはゲーム機の記録)に自分が残ってほしいという思いがあったのだろう。

東日本大震災の発生から1年が過ぎたが、これもわれわれが残さなければならない記憶。それと、政治家の行動も記憶に残しておきたい。国民から見られている意識が薄い政治家がいかに多いことか。