2012年12月21日金曜日

租税教育は生きた教育となるか

小学生の時に転入生から競技かるたの楽しさを教えてもらった綾瀬千早。高校生になり、立ち上げたかるた部で団体戦優勝を狙いながら自身の腕を磨き、にぎやかで“熱い”学園生活を送る――。

少女漫画原作のアニメ「ちはやふる」が面白い。おかげで競技かるたのルールを覚えた。そういうわけで新年は、1月から始まるアニメ版の第2期とともに、現実世界で繰り広げられる競技かるたの第59期名人位と第57期クイーン位(女性部門の最高位)の決定戦をテレビでじっくり観ようと思っている。

1月5日・近江神宮で決定戦に臨む楠木早紀クイーンは、中学3年生(15歳)で史上最年少のクイーンとなって以来、8期連続で決定戦で勝利。永世クイーンとして現在進行形で“楠木時代”を築いている。対するは本多未佳6段。どちらが勝負を制するのか、ひじょうに楽しみだ。

名人戦も注目の一戦。史上最長の14連覇を果たした西郷直樹永世名人が、決定戦の出場を辞退。東日本と西日本の予選を勝ち抜いた二人が空いた席を奪い合う。

「スラムダンク」がバスケットボール人口を増やしたように、「ちはやふる」は競技かるた人口を拡大させたそうだ。租税教育が盛んになってきたが、これらの漫画の成功例のように、税金の本質を子どもがちゃんと知る機会になることを願う。

2012年10月22日月曜日

公共空間におけるマナー

最近、信号を守る歩行者が増えているような気がする。見通しの良い交差点で、車はおろか自転車1台来ないというのに、いい大人が何人もじっと待っている。信号なんぞは歩行者を守るためにあるもので、「赤だから渡らない」などはナンセンスというものだ。

一度ルールとなったものには思考停止して守ろうとする保守思想を人間は生まれつき持っているのだろうか。それを破ることで遭う村八分への恐怖か。

明文化されていないものの、不思議なルールはエスカレーターにもある。いつのころか、関東は右を、関西圏は左を空けて立つようになった。急いで歩く人に道を作るためだ。地下深くまで掘られた新設の地下鉄駅などでは、ふうふう言いながら右側を上る人と、立つために左に並ぶ人と、なかなか不思議な光景だ。みんなが進んで守っているルールのくせに、そのルールによって誰一人幸せそうに見えない。こうした無意味なルールを破るためになんらかの行動を起こしたいが、ここでの天の邪鬼はなかなか勇気が要る。

ルールは頑なに守るくせに、公共空間におけるマナーは悪くなっていると感じる。とくに最近の年長者のマナーの悪さは目に余る。先日も、池袋駅で駅員さんに路線を伺っていると、とうに還暦を過ぎた二人組が横から割り込んできて、私には目もくれずに駅員さんに質問をぶつける。だが駅員も慣れたもので、闖入者には目もくれずに私への応答を続けていると、「ちょっと聞いてるの?」「だからJRはダメなのよ」と言い放ち、閉じた自動改札の隙間を無理矢理くぐり抜けていった。不当に罵られる駅員に同情を覚え、「最近の年寄りは身勝手だね」と言うと、小さいながらもしっかりした口調で私から目をそらさずに「はい」とだけ返事をしてくれた。

どこかがおかしくなっていると感じるこの国だが、同じ思いの人がどこかにいる。その人たちとつながることで、なんとかなるかもしれないと思えた日だった。

2012年10月1日月曜日

税務調査の「秋」

税界では「秋」という言葉に「税務調査の」という文言を冠する。7月の人事異動の慌しさが落ち着きを見せ、事前調査等を終えた当局が動き出す時期だからだ。ただ一般的に冠されるのは、「スポーツの」「読書の」「文化の」、そして「食欲の」だろう。

食欲の秋には食べ過ぎてしまう人も多いだろうが、その流れには乗らず、ダイエットに励むことにした。始めてから2週間後の健康診断では、昨年の同じ時期よりも5kg体重を落とすことができた。といっても、健康診断のためにダイエットをしたわけではない。きっかけは大腸の内視鏡検査をしたことだった。検査の数日前から暴飲暴食をやめ、前日は3食おかゆ三昧。当日は下剤の力を借りて腸の中のモノを全部出し切った。その時点で体重計に乗ってみると数日前と比べて2kg減っていたのを見て、体重計に乗ることが楽しくなったのだ。

ただ、5kg落として以降、体重を減らすのは難しくなっている。ダイエットの楽しみはほとんど終わったのかもしれない。「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」の言葉のように、リバウンドが近い気もしている。

2012年8月27日月曜日

助成金は競争率の低いものからチャレンジ!

ある会社が助成金を一度受けたところ、審査担当者から「こっちの助成金にも応募してくれませんか」と誘われた。驚きながら詳細を聞くと、募集枠に対して応募が少なく、しかし予算を使い切る必要性から、不良会社に助成することになりそうとのこと。そこで、その会社に白羽の矢を立てたという。

納税通信3237号の1面で取り上げた助成金は、ハードルが高いと感じて敬遠してしまう会社が少なくない一方で、使っている会社はとことん使おうと考えている。助成金の審査担当者によると、一度何らかの助成金を受けている会社は審査に通りやすいそうだ。

「過去に助成されているということは、一度は認められたということ。そこに信頼感を覚える。それと、過去の経験があるので、説明の手間も省ける」。

会社が人材を採用する時にも、同じような仕事をしている履歴を見て期待したり、教育の手間が省けることに安心したりする。それと同じことのようだ。冒頭の会社のような“棚ぼた”を期待するのもどうかと思うが、1面にあるように、交付額の小さい、競争倍率の低い助成金から挑戦してみる価値は十分あるだろう。

2012年8月20日月曜日

“自殺増税”

納税通信の第3236号の1面で書いた“増税自殺”は造語です。

多少強引な言葉ですが、自殺数の推移と増税のタイミングがあまりにもピッタリと合っていること、そして取材先で増税による経営者の苦悩がどれほど大きかったかを聞き、使用いたしました。

今回の消費税増税は、国の借金を後世に残さないためという大義名分が立てられました。また福祉目的と言っていたこともありました。どんなにきれい事を並べても、次の増税以降の社会をしっかり見つめていかなければなりません。

エヌピー通信社では、(1)不合理な税制はないか、(2)われわれの納めた税金がどう使われているか――を「納税通信運動」として1948年の発刊以来、一貫して唱えてきています。

本来、人を育て、そして守るための税が、その導入により人を殺す結果になることなど、決してあってはならない話です。

2012年8月6日月曜日

長きにわたる税理士資格の論争、ついに決着の兆し

経営者には見えづらい部分だが、一口に「税理士」といっても、登録の経緯によって複数のタイプに分けられる。

税理士試験の合格者はもちろん税理士だし、税務官公署で一定の経験を積んだ“OB税理士”と呼ばれる人も結構多い。税理士制度の前身である「税務代理士」がそのまま税理士になったケースもある。そして、公認会計士や弁護士も、それぞれの資格を持っていれば税理士として登録することが認められている。

実はこの最後のルートが、税理士業界にとって長年の懸念となっているのだ。税理士としての能力が担保されていないのに、税理士になれるなんておかしい――。これが税理士サイドの主張。税理士業界では、税理士試験の一部を突破しなければ会計士や弁護士を税理士として認めないというルールを作ろうとしている。

特に、弁護士よりも会計士にターゲットを絞った改正だといわれる。もちろん会計士サイドは反論している。最近では、7月25日に日本公認会計士協会の山崎彰三会長が「会長所感」として、「租税法を含む公認会計士試験に合格した者が資格を取得するまでの間には(中略)税務に関する教育研修を履修し、試験されている」「公認会計士は資格取得後においても(中略)税務に係る知識の習得に日々努めてきている」などと、税理士業務を行う資質を会計士が持っていることを強調した。

この隣接士業者のせめぎ合いは長い歴史を持つ。税理士法3条では、税理士になれる人として、(1)試験合格者、(2)試験免除が全科目に及ぶ人、(3)弁護士、(4)会計士―が順番に並んでいる。これが昭和55年の改正までは、(3)(4)(1)(2)の順番だったそうだ。これも戦いの記録のひとつといえる。

来年中にも施行が決まる改正税理士法にこの制度の見直しが含まれるのか。長きにわたって続くこの論争、近いうちにひとつの決着が予定されている。

2012年7月26日木曜日

戸惑うのは新入社員ばかりではないのだ

「聞いてねえことやらすなよな」「そうそう、人にやらせるなら、ちゃんと教えろっての」「わからねえから放っておいたら文句言いやがってよ」「人の使い方が下手だよね」「仕事のできない上司ってマジうざい」

午後11時過ぎ、山手線内での若者たちの会話である。今年入社の同期だろうか、男女4人とも着慣れないスーツが初々しい。池袋から五反田までの22分間、会社や上司への愚痴を興味深く拝聴した。話は多岐にわたったが、4人の思考に共通していたのは、「しっかり教えろ」ということだった。

わからないことを自分で調べることができない、という高レベルな話ではない。「自分が何が分からないのか」ということすら、まず周囲のオトナが見付けてくれたのだろう。そのうえで「こうしてみたらどうだろう」と機嫌を損ねないように教えてもらってきたのか。社会に出てみて自分たちの“常識”との違いに、さぞかし戸惑ったことだろう。

だが戸惑いは、彼らを受け入れた社会のほうが大きいはずだ。最近、企業経営者と話をすると「社員とのコミュニケーションの取り方がわからない」という声をよく聞く。仕事を教えれば、「はい」と答えるが、やらせてみると全く理解していないないことが多いという。さらには、自分でわかった部分だけ仕事をする者も少なくないそうだ。上司が叱ると「いや、よく分からなかったんで」としれっと答えるらしい。つまり「教え方が悪いんだよ」ということだ。

産業能率大学恒例の「2012年度新入社員の理想の上司ランキング」では、男性が大阪市長の橋下徹、女性は女優の天海祐希だった。ともに理由は「リーダーシップがありそう」とのこと。優しく教えろだの、リーダーシップを発揮しろだの、面倒なことだ。

2012年5月24日木曜日

災害を乗り越える力

茨城と栃木で竜巻が起きた5月6日、栃木県益子町では「益子春の陶器市」が開かれていた。筆者はその日、観光で益子町を訪ねた。ゴールデンウィークの最終日でもあった6日の朝はまさに行楽日和と言えるさわやかな天気だった。市で賑わう町の中心から離れると、広い田んぼで田植えをする農家の姿も見られた。

お昼を過ぎた頃からだった。辺りが一気に真っ暗になり、地面を叩きつけるような雨とひょうがものすごい勢いで降ってきた。途中晴れ間が見えて、雨宿りをさせてもらった店を出て、陶器市へ向かうと地面はドロドロ、売り物の陶器は雨に濡れ、「もう雨だから安くするよ」と諦めかけた陶芸家の声も聞こえた。

しばらくするとまた雨が降ってきて、町全体が暗くなった。空だけでなく、停電で街灯や店全体の明かりも消えたのだ。隣の真岡市に竜巻が襲って被害が出ているという話を聞きつけ、いよいよ帰りの電車も動かなくなるかもしれないと引き上げたが、電車から見た光景にも衝撃を受けた。栃木の名産いちごが植えてあったであろうビニールハウスは破れ、樹齢何十年かの樹木は折れて倒れていた。朝見かけた田植えをしていた農家の人たちが心配になった。

自然災害は一瞬にして人間の営みを奪う。いくら家族で避難計画を立てても、会社でBCPを作成してもいざというときは思い通りにいかないかもしれない。けれど、筆者が益子町で出会った人たちは騒ぎ立てず、冷静に対処し、そして観光客を心配して移動の手段などを探してくれた。その後のボランティアの活動なども素早かったという。助け合いが災害を乗り越える大きな力になることを実感した。

2012年5月16日水曜日

チャンスは逃さない!

会社の近くの古本屋に、イラストレーター安西水丸の直筆色紙が売り物として飾られていた。村上春樹との共著などで彼の名前を知っていたし、色紙に描かれたちょんまげ・はかま姿の愛らしいキャラクターも悪くはなかった。ただ、最も惹きつけられた部分は別のところにあった。それは片隅に記された日付。見覚えのあるその数字は自分が生まれた年月日だった。魅力的に感じたものの、ちょっとしたランチ10日分ほどの値段を見て即決はできなかった。店に行くたびに眺めるだけの数日が過ぎた。

ある日、色紙が飾られていたはずの場所から、ちょんまげ・はかま姿のキャラクターが消える。その時にどれだけ欲しかったのかにようやく気付き、手に入れる機会を逃したことを悔やんだ。経営者は、会社の将来を決めるような場面でそのような無念さを味わうべきではない。政治家でも同じこと。目の前のチャンスを逃さないように、正しい決断力を身に付けたいものだ。なお、色紙は店内の別の場所に移動していただけだった。もちろん今では自宅の壁に飾られている。

2012年4月26日木曜日

いろいろな〝記憶〟

長年の闘病生活の末、一昨年の夏にこの世を去った母の誕生日は3月22日だった。今からちょうど2年前、生前最後の誕生日に実家に帰ったとき、機械関係全てが苦手だった母が「パソコンを教えてほしい」と言ってきた。2日間教えて、その数週間後にまた顔を合わせると、かちゃかちゃとキーボードをいじくっていた。父に教わりながら知り合いにメールを送っていたようだ。

ニンテンドーDSという携帯ゲーム機で「脳トレ」関連ゲームに集中していた姿も思い出す。駅の売店で培った経験を生かし、釣銭をいかに早く数えるかを競うゲームで高得点をたたき出していた。わが家のDSの歴代記録トップ3をいまでも母が占めている。

孫娘の眼に目やにがたまり、まぶたがはれ、目が開かなくなった時期があった。数日して完治したとき「わたしの顔を忘れちゃうかと思った」と言っていた。

そんなときの母の気持ちは理解できる。他の誰かの記憶(あるいはゲーム機の記録)に自分が残ってほしいという思いがあったのだろう。

東日本大震災の発生から1年が過ぎたが、これもわれわれが残さなければならない記憶。それと、政治家の行動も記憶に残しておきたい。国民から見られている意識が薄い政治家がいかに多いことか。