2011年7月22日金曜日

「近代」を手繰り寄せた富岡製糸場の絹糸

金色堂で知られる平泉の中尊寺が世界遺産に登録されることになった。震災以降の数少ない明るいニュースに居ても立っても、大人しくはしていられない気持ちになって、最近1歳になった娘を連れて世界遺産の“候補”に挙げられる群馬の富岡製糸場へ行ってきた。

明治初頭に設置された富岡製糸場は、本邦初の官営製糸工場として日本の文明開化を象徴する建造物だ。赤レンガ作りの大きな繭倉庫に紡績機がびっしりと並び、壁には従事していた若い女子工員の写真も飾られていた。

労働環境など整備されていない時代、楽しいことばかりではなかったはずだ。辛いことも多かっただろう。それでも何百年も鎖国をしてきた日本には他に何の産業もなかった。ひたすら蚕を育て、繭を茹で、絹糸を絡め取る―、やれることはそれだけだった。

しかし、彼女らが紡いだ美しい絹糸は決して切れることなく、列強だけが独占していた「近代文明」を確実に手繰り寄せた。

震災による原発事故で電力不足が懸念される中、「生きた心地がしない」と漏らす経営者もいる。しかし、あきらめないでほしい。日本の夜明けを告げた富岡製糸場にはそもそも電気などなかった。最初は水力で器機を動かしたという。

現代とは全く事情は変わる。だが、いつだって日本の前途は洋々とばかりしていたわけではない。近代化の果てには戦争もあった。永久に平穏無事などあり得ないし、そして明けない夜もまたないのだ。

娘はつかまり立ちを覚えたようで、「ふん!ふん!」と、女の子にしては猛々しい鼻息を散らしながら、全身に力を込めて本気である。ほかにできることはない。やれることを精一杯にやるだけだ。

隣では家内が娘に遊ばせるヌイグルミを作るために、糸をつまんで慣れない針を進めている。明るい未来を、信じている。

2011年7月20日水曜日

マイカー取得までの道のり

先日、普通自動車の免許を取った。学生時代に取る余裕がなかったので、今になって教習所に通うことに。しかし、仕事の忙しさを理由にたびたび教習所から足が遠のき、結果的に無事免許取得できたはいいが、気が付けば教習所に通い出した日から約10カ月が経過していた。長い戦いだった。

免許取得となれば早速自動車購入と行きたいところだが、ここで忘れてはならないのが自動車に関連する税だ。購入時に都道府県に対して支払う「自動車取得税」。また、自動車検査証の交付を受ける人や、車両番号の指定を受ける人が国に対して納める「自動車重量税」。さらに毎年4月1日現在の自動車の所有者に対して課される「自動車税」。同じく毎年4月1日現在で、軽自動車を所有している人に対して課される「軽自動車税」。最近は「エコカー減税」がさまざまな車種で認められているが、教習所通学費からマイカー取得までにかかる金額を考えると、少しの税金でも気が重くなる。

現時点でマイカー購入の予定はない。免許証もレンタルビデオ店のカード作りに利用したのみだ。

2011年7月4日月曜日

白地図を流れる消せない汚れ

 原発事故の放射能汚染度を示す「サーベイマップ」なるものが公表されている。何も書かれていない福島県の白地図の上に、海沿いの福島第一原発から北西に向けて、流れるように赤色やオレンジ色の濃淡で放射線量の測定レベルが表現されている。まるで、清潔な真っ白い大地にそう簡単には落とせない汚いペンキをぶちまけたように見えた。

 せつなくなった。美しい自然、豊かな山河こそが魅力であった福島を汚したのは誰か。猛暑に耐えかねたように原発の再稼働の話も出てきているが、自分たちさえ快適ならば、他人の土地などどんなに汚れようが構わないのか。ノドの渇きを潤すために飲み干した空き缶を、そのまま他人の庭に投げ捨てているモラルと、程度の大小を除けば何ら変わることがない。

 “ヒロシマ”“ナガサキ”で、世界唯一の被爆国となった我が国が60有余年を経て、今度は自らが設けた核施設によって被曝するとは――。

 悲劇にしても、皮肉に過ぎる。